幼い頃はワガママだった気がする
欲しいものは今すぐにでも
手に入れないと気が済まなかった
5歳上の兄のどんくささを目の当たりに
ズル賢く成長した幼少期
嘘泣きは得意技のひとつだった
そんな私は祖父母との生活に満足してたし
居心地の良い生活が永遠に続くと思っていた
小学生の頃
父の会社が倒産し
そこから生活は一変する
「我慢」という修行の始まり
親の離婚で兄妹は離れ離れ
兄は海外へ留学
私は美容院を始めた母と二人暮し
いきなり兄がいなくなった寂しさを「我慢」
住み込みの方が
当時では珍しいベジタリアンだったので
母が作る夕食に
肉や魚が提供されることが殆ど無くなった
育ち盛りの子供より
住み込みで働いてくれる
ピカイチの技術者の方を優先していた母
食べたいものが食べれない「我慢」
祖父母と一緒の頃は
春夏秋冬行楽か常でしたが
母との生活では土日祝はお店が忙しく
どこにも連れていってもらえず
ひとりぼっちの日曜日を「我慢」
その後中2病を発症した私は
母との折り合いも悪く
学校の成績も右肩下がり
母と距離を置くために
和歌山の祖父母宅へ私だけ転居する
これが地獄の始まりでした(笑)
食べたいもの(我慢)
↓
母方の祖母はお料理下手
観たいテレビ(我慢)
↓
勉強の妨げになると全く見せてもらえず
毎日のお風呂(我慢)
↓
シャワーを取り付けてもらうまで1年
冬は2日に1度のみの入浴でした😭
その他も
外出、友人、電話、
ことごとく規制され
大阪の母の元へ帰るのも月に一度のみとされ
特に母に会いたいとは思わなかったけど
地元の友達には会いたかった💧
これも我慢
こんな生活が約2年
最後は父方の大好きな祖母が亡くなった時
お通夜もお葬式も行かせてもらえず
泣きながら我慢した事がきっかけで
和歌山へ転居してから2年目の秋
家を飛び出してしまいました
大人になっても
したくないお見合いを数々させられ
我慢我慢
嫌すぎて体調壊した新婚旅行も
自分だけ帰ってしまうと
親に迷惑かけると思って
我慢我慢
長くこんなことをしてると
「我慢」が身に付いてしまって
その場がスムーズにいくには
自分さえ我慢すれば良いという事に慣れる
私が我慢すれば。。。
私さえ我慢したら。。。
人に合わせることは苦手ではなく
それほど苦にはなっていないのだけど
今日早朝
母と共にタクシーで新大阪へ向かう車中にて
寒い寒いと母がエアコンを切らせて
汗だくになる自分が哀れになってきた💧
ドライバーさんも気の毒だった
いつもなら大したことない出来事なのに
あまりにも周りに気を遣わない母
車中で過去の「我慢」が
走馬灯のように駆け巡る
本来ワガママな私
三つ子の魂百まで。というように
基本的には変わらないんだと思う
なので私のワガママを
受け入れてくれている友人達は
神なのかもしれない
母にジレンマを感じつつ
友人への感謝も溢れだす
なんとも複雑な道中でした
腰痛クリニック治療室へ向かう母を見送り


