年末からの母の憂鬱の原因


それは義姉のこと


長らくスペインの家族とは会えていなくて


兄からの週一回の電話と


姪っ子達とのメッセージのやり取りのみ


去年、小さなマンションを購入して


自分達でDIYしながら


兄の家を離れて暮らす準備をしている


姪っ子2号夫婦


自分達の終の棲家が


欲しいのだと解釈していましたが


どうやら義姉の事も


離れて暮らす決意の一因となったよう


母がスペイン語や


翻訳された日本語でのやり取りを


どの程度理解しているのかわかりませんが


義姉が吸うタバコの煙に悩まされているとか


大袈裟な話、と、半信半疑で今したが


姪っ子1号からは


もう自分の母親になす術がないと


母に愚痴りだして


事の重大さに気付きました


けれど、


私たちは遠くはなれた日本で


想像することしかできず


何も力になれることはない


ならばそれは「知らなくていいこと」


だけど母の性格はそれを我慢できない


知ってしまえば苦しむだけなのに。。。


そこから母の不調が始まりました


「眠れない」という日が続き


それはもちろん義姉への心配もありますが


第一は息子である兄に対して


可哀想だという気持ちと


何も相談してもらえないという疎外感。


事の全容が明らかになるにつれ


かなり義姉の状態が思わしくないことが判明


救急車で運ばれるほど


具合が悪くなったとのこと


兄がようやく重い口を開き


母に事情を説明したのはクリスマスの数日前


黄疸が出て救急車で病院へ、即入院


十中八九、ダメな状態


尿や便の排泄が全くできなくなっている


このように母から聞かされましたが


今にも死ぬような状況に聞こえる


どこからが正しくて


どこからが間違っているのか


兄に確認してみると


病院嫌いの義姉を無理に医者へ連れて行けず


自分の意思で病院へ行くと言った時には


排泄はできなくなり


黄疸症状が出ていて


ほとんど意識不明に陥り


救急車で運んだそう


あのまま入院しなかったら


十中八九死に至っていたかもしれない


今は回復に向かっているとのこと


やっぱり母の話とはちょっと違う😅


だけど


大変な状況には変わりなく


私も心配しましたが


大晦日にすべての検査を終え


無事に退院することができたよう


大晦日は姪っ子1号の誕生日でありましたが


家族で祝った形跡はなし


自宅で義姉が静かに静養できるよう


家族の配慮があってのことでしょうか


姪っ子1号の息子イーサンは


クリスマスから年末にかけて


父親であるダニーと一緒に過ごし


年末にバルセロナに帰る予定でしたが


ダニーが無症状に近いコロナ感染が発覚


サンタンデールに足止めとなっているよう


幸いイーサンは無事のようですが


両親と離れて心細い思いをしてる事でしょう


いつもと違う年末に


スペインの家族も戸惑っているのでは?


どうか


今年は良い年になりますようにと


願わずにはいられません



いつの頃からそうなったのかわかりませんが


義姉の酒量やタバコの量が


身体を蝕むほどとは想像もできなかった


コロナ禍、マドリッドで


最期を迎えた実母のお別れにも行けず


妹弟達とも交流できず


孤独を深めていったのでしょうか


兄はオールリモート業務となり


ほぼ100%在宅だったはずなのに


彼女の心の隙間は埋められなかったのか


コロナ禍以前の兄は


週の殆どが海外出張だったので


今ほど一緒にはいられなかったのに


まさか一緒にいる事がストレスに⁉️


いやいや、それはあるまい


義姉は兄に今でもぞっこんのはず


日々「Te quiero」(愛してる)状態だったのに


これからの義姉の生活は


規則正しい生活と禁酒禁煙


お酒は毒だと思えとのこと


初期の肝硬変だと診断された義姉


本当にこのままお酒がやめれるのか


心配の種は尽きませんが


信じて見守るしかないのでしょうね


全ては本人次第ということでしょうか


入院して排泄機能が回復して


10キロ痩せたという義姉

2年前の正月のこの写真のように

また家族に笑顔が戻りますように

兄が母に何も話さなかったのは


やはり


「めんどくさい」からだと思う


私が娘の彼ピを秘密にするように


知られるとあれこれと


勝手に色々と妄想を膨らます母


そして黙ることを知らない母


そりゃ


知られたくないよね


兄の気持ちが痛いほどわかりました