心先生のご主人が亡くなりました
今回わかったのは
ご主人が事故に遭った日の朝
心先生がご主人に酷いことを言ったという事
まさかそれが今生の別れの言葉となるとは。。。
亡くなってしまって
その言葉の後悔に苛まれる
目に浮かぶのは
何も言い返せないご主人の顔
泣き崩れる心先生を見て涙が出ました
故人との最後のやり取りが
このような後悔の残る言葉になるなんて
思わないものですよね
私も
何度かブログに綴りましたが
父に対して酷い言葉を投げかけ
それが最後のやり取りとなりました
2ヶ月でしたが入院生活の中
わがままな父が何度も家に帰りたいと言って
帰らせない私に鬼の形相で
「お前みたいなやつは!」と
元気な時の温厚な父からは想像できない
暴力的な言葉で何度も威圧されました
気分転換にと車椅子に乗せて
院内を散歩していても必ず病院入口へ誘導し
入口を指差し外へ行きたいと言っていました
自宅では
母がもう一杯一杯で看ることはできず
私も幼い娘を抱えていたので
病院へは食事介助の為に
1日に3回出向くのが精一杯でした
新設の介護施設に
コネで入所させてもらえる事になっていて
少しでも筋力を取り戻すために
酸素も取れるようにして
リハビリにも参加できるようになっていましたが
本人は施設ではなく家に帰りたかったよう
なので
反発するようにリハビリをサボったりして。。。
支えなければならない
私達家族も疲れはてていたんでしょうね
約束していたリハビリも休んで
またまた悪態をつく父に
「もうパパに頑張れって言わない!」
「勝手に好きにしたらいい!」
「もう明日から来ないから!」
そんな風に言ってしまったわたし
まさかそれが最後の会話になるとは
夢にも思いませんでしたが
その二日後に父は帰らぬ人になってしまいました
どんなに後悔しても
どんなに懺悔しても
2度と
父の優しい声を聞くことはできませんでした
この時の恐怖は18年経っても
いまだに消し去ることはできず
母に対してだけではなく
家族や友人達には
どんなことがあっても
捨て台詞のようなものを投げるのはしないよう
特に家族には
面白くない事や
喧嘩をしていても
家を出るときには笑って見送る
喧嘩をしていたら決して自分が悪くなくても
こちらから歩み寄るようにしています
2度とあんな思いはしたくないから。。。
もうすでに母には
後悔してしまう言葉をたくさん言っていますが
決して最後にはそれがないよう
これからも努力するつもりです

