そういえば3日目のハワイも雨が降りました

4日目もしとしと雨が降りました

この雨で毎回切ない気持ちになるのは

母の涙のような気がするから?

今頃寂しい思いをしていないかな?

置いてきてごめんねと呟いた夜

気付いたのです

思わぬアクシデントのおかげで。。。

ディナーに向かう直前に蹴躓いて転倒

その時とっさに両手をつき

強打してしまいました

人間こういう場合

どんなに痛くても直ぐに立ち上がるんですよね

疲れていたのかな

何かに躓いたのかわかりませんが

強打した両手は痛みより痺れが酷く

私は無意識に手のひらでグーパーを繰り返し

折れていない事を祈る気持ちで確認しました

『大丈夫?』と心配する娘に

『大丈夫!大丈夫』と、心配かけないように

精一杯の演技

本当は『折れているかも?』と不安で一杯

だけど私の性分でついつい平気を装う

食事中もナイフとフォークが

これほど重いのかと思うほど

自由に動かしにくくて大変でした

食事の後ホテルに戻る頃

強く打ったはずの左手より右手が疼き出し

不安に追い討ちをかけることに汗

シャワーして就寝する頃には

痛みが激しくなりいてもたってもいられず

ロキソニンを服用しました

ゆっくりゆっくり痛みが軽減し出し

ぐっすり眠る娘を見つめながら

色んな思いが交差しました

娘は私をそれほど心配していない

それが哀しくて切ない

もちろん心配はかけたくないので

平静を装っていたのですが。。。

親の調子が悪いというと

不機嫌になっていた私

そんな私を見て育った娘が

私を心配しないのは当たり前

これが『順送り』なのかと

オオカミ少年のような大袈裟で嘘つきな母の

ここが痛い

あそこが痛い

辛い

しんどい

この全ての訴えに

『私はどうすることも出来ない』と

突き放してきた

『痛み』は『言葉』でどうすることも出来ない

そう思い続けてきた私でしたが

初めてそれが間違いだった事に気付くのです


『大丈夫?』『痛くない?』

もし、娘が私にこんな言葉をかけてくれたら

多分可哀想に思ってしまう

ある意味私は究極の過保護なのかも?

娘の前ではいつでも

『不死身』で『強い母親』でいたい

そう思う気持ちがついつい娘に本音を言えず

そして娘は私が母親に対して

優しい言葉を投げ掛けない事を

長年みてきて学習しているのだと思い知る

心配して欲しい訳じゃないのに

この時の私はきっと優しい一言が

欲しくて仕方がなかったのだろうと

押し寄せる不安の中思ったのです。。。


『ママ、ごめんね』と涙

これほど懺悔した事がないくらい

痛い時、辛い時、

もっと優しい言葉をかけるべきだった

きっと思いやりの一言で

精神的に楽になったんだろうなと

色々な事を思い出し

母に対して申し訳ない気持ちで一杯になり

また涙

日本に帰ったら改めよう

この日の出来事は

神様がわたしに与えた試練であり

気付かせてくれるチャンスだったのだと

ポジティブな私は思うのでした

永遠に続くような夜でしたが

薬が効きいつの間にか眠りについていました