アスクレピアス
アスクレピアス
別名 トウワタ・シュッコンバンヤ
ガガイモ科アスクレピアス属
原産地 南北アメリカ・アフリカ
花言葉 健康体
誕生花 9月11日
茎をちぎると、乳が出てくるので、「乳草」ともいわれます。
ちなみに、お野菜でも「乳草」と呼ばれる野菜は、御存じですか?
「ちしゃ」と呼ばれる野菜・・・学名Lactuca sutiva
レタス・サラダ菜・マロンレタス・サニーレタス・グリーーンカールシルクレタス・掻チシャ・茎チシャ(山クラゲ)
などの仲間がある「キク科アキノノゲシ属」 レタス
話はずれましたが、この花の名前の「アスクレピオス」は、ギリシャ神話に出て来る名医アスクレピオス
に由来します。
アスクレピオスは、医聖と呼ばれたケイローン(いて座)
に育てられ、幼き頃より、医術を学びます。
そして、研究熱心で、若くして名医と人々から、尊敬されるようになります。
ヘビが脱皮する様子を詳細に観察し、新たな医術を生み出し・・・
また、毒蛇の毒を使い・・・様々な病気を治療し、その噂を聞いた他国の人々を分け隔てなく治療したといいます。
ところが、医術に長けたアスクレピオスは、とうとう、亡くなった人まで、生き帰させる医術を身につけてしまいます。
これに、怒ったのが、冥界の王 ハデス王
亡くなった人を生き帰らせることは、宇宙の法則や秩序を壊してしまうと・・・
節理に反した行動をしたアスクレピオスは、神格を奪われ、死すべき人間となり、
雷に打たれアスクレピオスは、人々に悔やまれながらも、ヘビツカイ座という星座
になったといいます。星座となった後も、多くの人に尊敬されて続けているという・・・
そのアスクレピオスから、このお花の名前はつけられました。
暑い時期、外を散歩していると、よくお見かけするお花です。どちらかといえば、野花ですが・・・
仏教でも、よく読まれるお経に『妙法蓮華経寿量品偈』というお経があります。
その中で、こんな話が説かれています。
「良医病子の喩」というお話です。
インドのある所に沢山のこどもを持つ名医がいました。ある時、遠い国で苦しんでいる患者を救おうと、旅に出ます。その間、こども達は「この薬は、効くよ」とある薬を渡され、飲んでしまいます。それは、毒薬でした。
のたうちまわる位、苦しい痛みが、体中に広がります。
やがて、治療を終えた父である名医は、こども達が苦しんでいる姿を見て、判断し・・・
「毒消しの薬」を調合し、こども達に飲むように勧めます。
ところが、体中が痛く、尋常ではない辛さであるこども達は・・・
父を疑い・・・
「そんな薬を飲んでも、この痛みが取れるわけはない」と・・・
父が調合してくれた薬を飲もうとしません。また、かえって、痛みが増す毒薬ではないかとも、疑います。
こども達を、救いたい父親は、「ここに、薬をおいておくから、飲みなさい」と言い残し、遠い国に行き・・・
そこから手紙を出します「父は死んだ」と・・・
父の死を知り、嘆き悲しんだ子供達は、
「父さんが、亡くなったのは、辛いけれど、父さんが、置いてくれたお薬を飲んで、元気を取り戻そうと・・・」
薬を飲み、元気になります。
その様子を聞いた父は、こども達に逢おうと、おうちに帰ってきます。
「アスクレピオスと良医病子の喩」
夏に色んな場所に向っていると・・・薬のような赤い玉を実らせ・・・夜空に浮かぶ星のような形をした・・・
アスクレピアス・・・を手に触れ・・・元気をいただきます。
今日は、お仏壇の開眼供養のお勤めを、お勤めさせていただきました。
そこで、わたくしは御詠歌をお唱えさせていただきました。
曹洞宗梅花流詠讃歌 大聖釈迦牟尼如来御詠歌
草の庵に 寝ても醒めても 申すこと 南無釈迦牟尼佛 南無大恩教主 南無釈迦如来
わたしは、よく亡くなった方の供養をお勤めさせていただく時、寿量品の「「良医病子の喩」というお話をさせていただくと共に・・・アスクレピアス(アスクレピオス)のお話をさせていただきます。
最近は、仏壇の前に「フォトライブラリー?」一緒に旅行に行った写真を、ゆっくりと流しておられる方が増えました。
きっと、名残り惜しいのでしょう。また、同じ場所に旅行に行きたかったのでしょう。
「○○さんは、あそこにも、旅行に行かれたのですね。○○さんの亡くなられた奥さまの笑顔は素敵ですね。」・・・
実は先ほどお話させていただいた「「良医病子の喩」
の話の中には、こんな願いや祈りの大切さが説かれています。
それを仏教では「久遠実成の仏」の教えといいます。
「みほとけに逢いたい時には、みほとけになられた方に逢いたい時は、ただただ、願いを込め、蝋燭の灯火を灯し、お線香を焚いて、御供養してあげてください。一日が始まる朝・・・一日が終わろうとする夕方・・・
お盆をお迎えになるみほとけは、祥雲寺の本堂にある「薬師如来・日光菩薩・月光菩薩」の側で、位牌をおまつりさせていただいて、御供養させていただきます。
色んな場所を旅行されて・・・また二人で行きたかったのにな・・・と思われたら・・・どうか、健康でいて・・・奥さまの位牌をお腹にいただいて・・・お参りください。奥さまが、お亡くなりになって、淋しく思われるなら・・・お線香を焚いてあげてください。わたしも、父である師匠を亡くしました。辛かった事もありました。苦しかった事もありました。けれど、お線香を焚くと・・・煙がゆっくり・・・お空に向って・・・」
「逢いたいのに・・・」と思われたら、お線香を焚いて・・・
叶わずと思わずに・・・会えないと思ってしまいますが・・・
健康でいて、多くのお線香をお供えし・・・そして・・・
この世に、不滅の人は一人としていません。
「あの人が、生きていれば・・・」と思う事も沢山あります。
けれど・・・亡くなったから終わりでもありません。
亡くなってもなお・・・
最近は、お仏壇に、おまつりさせていただくお位牌が限られて来て・・・
「和尚さん、うちは位牌が多いけ~処分したいんじゃけど・・・どう、したらよいの?天保とか享保とかわしの知らない時代の位牌よりも、お母さんの位牌を大切におまつりしたいんじゃけど・・・」
という質問が多くなりました。
「わしは、知らない人じゃけど・・・」
「どうしても、仏壇を新しく購入されて、おまつり出来ないようなら、魂抜きというお勤めをお勤めしましょう。箱位牌というものに、移し変えて・・・けれど、お仏壇に、お祭り出来る場所があるならば、なるべく、残していきましょう。お位牌は、単なる板ではないんですよ。皆さんが、お母さんを大切に思われるように・・・その時代、苦労された皆様の命が宿り、願われたお位牌なんです。なるべく、残して、行きましょう。奥さまもお母様も手を合わされたお位牌を・・・」
最近は、自分の奥さまを亡くされて・・・親を亡くされて・・・
供養をしっかりしたいと考え、新しい仏壇を購入される方が、多くなりました。
大切な家族を失われ・・・亡き後も、大切に御供養したいと・・・
大切な事です。
けれど、亡くなられた伴侶や御親・・・御先祖さまにも感謝し、お線香をお供えさせていただくのが、
御仏壇と・・・わたくしは、思います。
親偲ぶ
親にも親の
まごころを
お仏壇には、お釈迦様が、御本尊でおまつりされています。
わたしの大好きな言葉があります。
修証義 第五章 行事報恩
過去・現在・未来の諸仏、共に仏となる時は、必ず釈迦牟尼仏となるなり、これ即心是仏なりとなるなり、即心成仏というは、誰というぞと、審細に三参究すべし、正に仏恩を報ずるにてあらん