永禄八年頃のこと。
日向の伊東義祐は、鬼ヶ城の城代を小松兵部太夫に命じた。
その頃は真幸口、飫肥口両方に軍勢を出し、島津などとの合戦がうち続き、
山東の軍勢は休息する暇もなく、五番代わり、三番代わりに交代した。
この事は二十日番と呼ばれ、
この軍役に対する上下の難儀は一方ならぬもので、
この件への訴訟が絶えることなく上がってきた。
このような状況ではあったが、城代の小松兵部太夫は、その訴訟を押さえつけ受付なかった。
そのためか非常に機嫌が悪く、常に顔を膨らませて気色荒げていた。
そんななか、ある日何者かが、このような狂歌を詠んだ。
『葛の根は 小松ばかりに残れるや いつも腫れたり番代がつら』
これは飢饉の年、窮民たちが葛の根を掘って食うと顔が腫れるということから、
この様に詠んだのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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