虹の松原☆ | げむおた街道をゆく

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唐津藩の藩主となった寺沢広高は、新田開発の一環として、

防風林・防砂林として植樹を行った。
 

藩の庇護の下、禁伐の掟(伐採は死罪)はもちろんのこと、

燃料としての落葉の採取も厳しい制限が課せられていたという。
 

後年、藩主の改易や移封により主家が変わっても手厚く管理され、

「日本三大松原」の一つとして現存している。

ちなみに、寺沢広高は、

「この中に自分が愛してやまない松が7本だけある。」

と言ったというが、どの松とわざと指定しなかった。
 

これは住民に、

「もし自分が粗末にした松が、殿様の愛した、その7本のどれかだったら。」

と思わせることで、全ての松を大事にせざるを得ないように、

心理的に圧力をかけたものといわれている。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 肥前国唐津藩藩主、寺沢広高

 

 

 

ごきげんよう!