享禄3年(1530)、大内義隆は、九州の名族・少弐氏の息の根を止めるべく、
筑前守護代の杉興運に討伐を命じた。
幕府から太宰大弐の官位を買い、侵攻の大義名分を得た大内氏に対し、
既に本国・筑前を奪われた少弐氏は、
悲壮な覚悟で戦いに臨んだが、たちまち劣勢に立たされた。
少弐氏配下の龍造寺家兼も、大内軍の朝日頼貫を討ち取ったものの、
多勢に無勢、ついに敵に取り囲まれ、
さすがの家兼も覚悟を決めた。
その時。
「な・・・なんじゃ、あの赤熊(シャグマ)どもは!?」
突如現れた赤熊(ヤクの毛を染めた兜・母衣飾り)に漆黒の鬼面をつけた謎の部隊が、
大内軍に襲いかかった。
勝ち戦に気の緩んだ大内軍は、異様な軍団に横合いを突かれ、見る見るうちに陣を崩される。
「な・・・なんだかよく分からんが、我らも続けーっ!」
このスキに体勢を立て直した家兼が反撃に転じ、形勢は逆転。
大将の杉興運は、本国に逃げ帰った。
「助かった・・・それにしても、彼らはいったい・・・?」
疑問の解けぬ家兼の前に、赤熊軍団の将らしき者がやって来て、鬼面を外して一礼した。
「佐賀郡鍋島の郷士・平右衛門清久と申します。
良将に仕えたいと考えておりましたが、龍造寺殿こそと思い機会を伺っていた所、
今日の苦境を拝見し、助太刀に参りました。
どうか、家臣の端にお加え下さい。」
喜んだ家兼は、清久の次男・清房に孫娘を嫁がせ、鍋島家を重臣として遇した。
鍋島の者は戦勝祝いに赤熊の装束で練り歩き、
それが元となって佐賀の無形文化財「面浮立」が生まれたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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