勝茂さまの病気の回復の見込みがなくなったとき、
光茂さまへ、志波喜左衛門が、
「私は、以前から殿のお供をいたす約束をしております。
ご回復の見込みがないよう思いますゆえ、
殿のお命の代わりとして私が腹を切ったならば、
もしかすると御回復することがあるかもしれません。
いずれ冥途へお供する身体ですから、切腹を御許しください。」
と申し上げた。
光茂さまが、増上寺の和尚に、
「命の代わりとして切腹をするということは許されますか。」
とお尋ねしたところ、
「そのようなことは絶対に許されていない。
剛の者であるから、大切に召抱えておかれるように。」
との答えであった。
光茂さまは腹を切ることは許さず、
しかし、その忠義の心にすっかりと感心され、
子孫を疎かにするようなことがあってはならぬと、
自ら筆をとり、そのことを記された。
いまだに子孫はその書付を持っているということだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!