鍋島勝茂が、佐賀を治めていた頃の事。
龍造寺家の村中城を大改造し、
佐賀城が鍋島家の居城として、生まれ変わった時の事である。
勝茂は、既に隠居していた父の直茂に新しい居城を自慢したくて、
お披露目の為に佐賀へと招待し、自ら佐賀城を案内した。
「あそこから攻められた時は、ここでこう防御します。」
「ここが弱いので、あっちでこうしてそれを補うのです。」
「いざと言う時は、あそこでああして…。」
勝茂は城の隅々まで、父にお披露目し、
知略の限りを尽くした防御のノウハウを説明した。
それは師である父、直茂への挑戦だったのかもしれない。
だが、父の反応は…。
「……これだけ?」
「え? は、はい。 そうですが…。」
「じゃぁ、一つだけ、お前が忘れている物があるな。」
「そ、それは何でしょう?」
「お前が腹を斬る場所。この城にはそれが用意されてないよ。」
その後、直茂は国の防衛というものは『城』やら『陣立て』で行うものではなく、
『人の和』が大事なのだ。
敵が攻め寄せた際の戦術、戦略をあれこれと決めて置くよりも、
周囲の者達への気配りこそが大事であり、
いざと言う時に、命を捨てて守ってもらえるような主君になる事こそが肝要である。
と勝茂を諭したのだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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