昔々あるところに、一人の修験者がいました。
その修行ぶり、土地の殿様も関心するもので、修験者はたびたび殿様に招かれて、
ご馳走などふるまわれていたそうです。
こうして五年経ったある日、修験者は殿様に申しました。
「これまでの殿様のご恩、浅くありませぬ。
この上は、私は報恩のために『水定』して、
当国の主に生まれ変わり、法を立てて治めましょう。」
『水定』とはお経を唱えながら海に漕ぎ出して帰らない、即身成仏の海上版です。
驚いた殿様は、しきりに修験者を止めましたが、とうとう修験者は、
「われ国主に生まれ変わるならば、再びこの浜に流れ着き、草鞋片方のみ残るべし。」
と言い残し、人々の涙と合掌に見送られて、小舟で海に出てしまいました。
数日後、浜に修験者の遺体が流れ着きましたが、
果たして修験者の言葉通り、
片足だけ草鞋を履いていたそうです。
数十年後、殿様のご長男・伊勢松さまが、元服の日を迎えました。
伊勢松、
「父上、私はこれより、何と名乗れば良いでしょう?」
(・・・あの修験者、勝茂(しょうも)と言ったか・・・・・・)
「 『 勝茂(かつしげ) 』 と名乗るがよい。」
その後、鍋島勝茂は関ヶ原では西軍として数々の城攻めに参加し、
島原の乱では抜け駆けの罪で閉門を命じられました。
が、不思議と肥前半国の国主の地位を保ったそうです。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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