黒田職隆(黒田如水の父)の家は最初、甚だしく貧しかったが、後に大いに富裕となった。
そして職隆は、天性慈愛深い性格であったので、
人に恵み、天涯孤独の窮身で、飢えて寒さに苦しむ者たちを救うため、
大きな長屋を二つ作り、そこに飢えた人々を多く招き集め、また、道で非人に逢えば、
「汝、我が所に来い。扶養してやる。」
と言っていたため、飢人たちが多く集まり来た。
職隆は、これら一人ひとりに食を与え、衣服を着せ養い置かれた。
後に羽柴筑前守秀吉が姫路に居られた時、この黒田職隆が天性真実であるのを知り、
その寵遇は他と異なるものであった。
元日の賀礼に麾下の諸士に杯を与えるときも、最初に職隆を召された。
そして黒田職隆が年老いて隠居しても、秀吉が出陣している間は、彼に城の留守を任せた。
これは黒田職隆の、その人となりが忠信なる故であった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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