母里但馬と井上周防と言えば、
古くからの黒田家の重臣であったが、
この両名、実に仲が悪かったという。
ある時のこと、母里但馬の屋敷にて人々集まり武辺話をしていたとき、
但馬がこんな事を言い出した。
「周防は名人臭く、みたくもない分別面も甚だしい者であるが、
先年豊後石垣原(関ケ原九州戦線での大友氏との戦い)では一人狂言をしたよ。」
人々、但馬と周防が仲の悪いことを知っていたので、
『またいつもの悪口をいうのだろう。』
と困っていると、その中の但馬と心安いものが聞いた。
「一人狂言とは、一体どういう事を言っているんだ?」
これに母里但馬。
「それはな、あの合戦で周防は人を能く使い、自由自在に駆け引きをし、
その上自身で槍を突き残るところなく働いた。
仕手(軍の運用と作戦立案)と脇(戦場での働き)を続けて一人でやったのだから、
これは一人狂言ではないか。」
これに、ある人が口をだす。
「あなたの甥である隼人殿も、戦場では同じ程の働きを、
しかも朝鮮と石垣原で二度もされている。
脇ということならば、隼人殿は周防殿の上を行く勇者ではないだろうか?」
但馬、この指摘に。
「あいつは私の甥だからなんとも言い難いが、
脇という面であれば悪くいうことは出来ないな。
しかし周防は軍陣という物も見ず、軽はずみなこともせず喧嘩もしないので、
終に刃を交えるような事もなく、
子供の頃から用に立つべき者であると、
優れて功の入った人である宗円様に見つけられ、如水様、
そして今の殿にいたるまで3代共に、仕手として重用されていた。
しかるに豊後では、あのような実戦は初めてのはずなのに、
そのたった一度、一度も一度の場であれだけの働きをした。
なるほど、いよいよあいつは殿の御重宝である。」
そういって井上周防を殊の外褒め上げた。
これを聞いた人々は、
「但馬殿と周防殿はずっと不和で、今周防殿が他に居るのをいいことに、
何事かを聞き出して悪口を言うのだろうと
困った思いでいたが、なんという正直な物言いだろう。」
と、皆感じ入ったそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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