大坂冬の陣の時、木村長門守重成が、信貴野(鴫野)堤にて戦した。
後藤又兵衛基次は、重成と関係がよく、
それ故に自分の人衆は陣所に残しおき、馬廻り10人ばかりにて、重成の備へ来た。
この時、重成勢の足軽は敵に打ちひしがれ、堤の陰に伏して頭も出せない状況であった。
これを見た基次は自分の鉄砲を取ると、堤の上に駆け上がり、立ったまま2発射撃して、
「汚し! 者共このように撃て!」
と辱めた。
この勢によって、足軽達も堤の上に登って一斉に射撃したため、
今度は敵が却って打ちひしがれ、堤の陰に隠れた。
基次は左の小指を負傷しており、重成はこれを見て、
「手を負われたか。」
と問うと、基次はそれを鼻紙でおし巻き、
「戦場で負傷するのは、我が吉例である。」
と言った。
重成はそんな基次に対し、しきりに自分の陣所に帰るようにすすめた。
その心を察するに、重成は若武者であり、この度の戦いが、
ひとえに基次の指示によると人に言われることを気にする気色である。
これもまた器量であろう。
これは重成の従者が後に語ったことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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