黒田長政と喧嘩別れをし、出奔した後藤又兵衛。
一旦、細川家に頼ろうとするも、長政の猛抗議で出て行かざるを得なくなる。
やがて知り合いを頼って、福島正則の治める広島へと渡った。
その時のお話。
福島正則は又兵衛が広島に来ていることを知ると、
黒田家からいくら抗議を受けても是非召抱えたい、と思った。
しかし、家臣を通して三万石での召抱えを申し出たが、あっさりと断られた。
それでさらに又兵衛に興味を持った正則は、彼を広島城に呼び出した。
又兵衛が御前に出てくると、正則は長政から送られてきた書状の返書を見せた。
それはなんとも、字の下手糞な物であった。
「黒田家は大禄のお家だが、字の上手なものは召抱えられぬのか。」
と家臣たちと共に大笑した。
又兵衛が黒田長政と大喧嘩して出奔したことを知る正則は、
又兵衛と一緒に、長政の事を笑ってやろうと思ったのだ。
すると又兵衛、
「黒田家には多くの家臣があり、字の上手なものも、下手なものもそろっております。
ただ、黒田の家風として、字の上手な書状には上手な字で、
逆に字の下手な書状には下手な字で、
返事をお返ししております。」
正則は家臣たちの前で辱められ、顔を真っ赤にしたという。
召抱えの件も、勿論沙汰止みとなった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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