後藤又兵衛の出奔☆ | げむおた街道をゆく

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ここに嫡男・隠岐を追放された後藤又兵衛。

やがて年月も経ち、息子の帰参を求め様々に詫び言するも、
黒田長政はこれを承知せず、又兵衛は長政に対し不満が募り、

「わしは後を継ぐもののない一代男なり。
もはや未来に何の希望もない!」

と常々言っていたそうだ。

ところで後藤又兵衛の次男に、又市という美少年があった。
黒田長政はこの又市を寵愛し、特に彼は小鼓の上手であったため、

長政は他に別して又市を出頭させた。

ある時、博多祇園社において能の興行があり、日吉太夫がこれを勤めた。
この頃、又市は17歳、容貌美麗なこと花のごとくであり、

長政は寵愛のあまりこの能興行の小鼓を打つことを又市に命じた。

この命を又市は疑問に思った。
「武士である私が主人、あるいは朋輩が能を勤めるときに、

小鼓の役を申し付けられるというのは、これは尤もな事だ。
だが猿楽師の勤める能の小鼓を打つというのはいかがなものであろうか?」

又市は13里離れた、父・又兵衛の在る小熊城へと密かに忍び行き、この事を相談した。
 

又兵衛はこれを聞くと、激怒した。
「よく相談に来た!

さてさて筑前守殿(長政)には聞こえぬ仕方をなされるものか!
我が惣領である隠岐守を追放し、今また其方にも斯様なことを申し付ける!
こうなればこれは遺恨である!

この上は当家を立ち退くしか無い!」

と、当時黒田長政と激しく対立している、豊前小倉の細川忠興の元に使いを立てた。

『それがし儀、不慮の儀にて長政家を立ち退き候。御城下に参りたく候。』

「得たり賢し!」
この使いに細川忠興は歓喜した。

早速、人数千人、鉄砲二百挺、騎馬少々を差し添えて又兵衛の迎えに遣わし、
又兵衛、並びに妻子家来を残らず小倉に引き取った。

これを知って治まりがつかないのが黒田長政である。

怒り心頭の彼は小倉に、又兵衛の返還を求める使いを立てた。
当然のことながら忠興はこれを拒絶。

もはや合戦か!

と言うところに徳川家康より扱いが入り、
『又兵衛の身柄は細川家を離れ上方に送る。

そのかわり黒田家は、又兵衛の身に手出しをしてはならない。』
と決められた。

後藤又兵衛出奔の顛末である。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 大坂城五人衆の一、後藤又兵衛

 

 

 

ごきげんよう!