石垣の土台☆ | げむおた街道をゆく

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江戸御城の石垣を築く時、桜田、日比谷付近の築き立てを、

加藤清正、浅野長晟にお命じになった。

 

加藤家は森本儀太夫(一久)が奉行を行った。

さて、この付近一円は沼だったので、石垣の土台を固める時に森本は指図して、
人夫を大勢出し、武蔵野の萱をおびただしく刈り取らせ、それを沼に入れた。
そして、10歳から13,4歳までの子供を集めて、その沼の上で遊ばせた。

子供たちは面白く思って踊り狂った。

そうして日を送るうちに、浅野家方では石垣が大方出来上がった。

諸人は皆、森本の指図の埒が明かぬのを笑っていた。

森本は諸人の嘲笑には全く構わず、前述の沼がよく固まったのを見て、

石垣の築き立てにかかったので、浅野家方よりはかなり遅れて出来上がった。

ところがある日、大雨が降り、この時に浅野家方が築き立てた石垣は、
土台がよく固まっていないので所々崩れ、再び築き直した。

一方で、加藤家方が築き立てた石垣は、よく固まっていたので少しも崩れなかった。

これを見て諸人は、森本の指図に感心した。

浅野長晟はこれを聞いて森本を招き、そのやり方を問うた。

 

森本は答えて、
「沼などを固めるには、急に固めては完全にはならない。

そこで萱を踏み込み、童子らに踊り狂わせて、自然と固めたのである。」
と言った。

 

後世に至っても、沼などを埋めるには、この森本の工夫を用いるということである。

この森本は加藤家において中老であった。

かつ、武勇の聞こえある良士である。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 加藤家三傑の一、森本一久

 

 

 

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