天文年間のことであろう。
大隅の蒲生範清と敵対していた薩摩の島津貴久(島津四兄弟の父)は、
弟の尚久に、蒲生の支城、北村城を攻めさせた。
しかし北村城主・北村清康は、巧みな作戦で反撃に成功、島津軍の大敗になった。
島津尚久は撤退の際、多くの家臣を失いながら、
岩戸川原から久末の岩上を通り、
高牧の井手山(いでんやま)の奥まで逃れた。
しかし蒲生勢の追撃は激しく、ついに尚久は自害を決意した。
ところでこの島津尚久は、かねてから謡曲が好きで良く学んでいた。
そのためこの時、この世の名残にと一曲唄い始めた。
尚久の切々とした唄が、井手山の谷に響く。
これを聞いた追っ手の蒲生勢も尚久の考えを悟り、
彼が一曲唄い終わるまでと、
追撃の足を止めた。
武士の情けであった。
…と、敵の追撃が止まったことに気がついたのが、唄っている島津尚久である。
彼は傍にいた部下に、
尚久、『この続き、お前が唄え! その間に俺は逃げるから!』
部下、『ええ俺が!? 声でバレますよ!』
尚久、『そんなのわかりゃしねえよ! いいから早く! なるべく長めに唄えよ!』
そう、部下を身代わりにし、その隙に島津方の吉田城へと逃げ帰ったそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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