時は流れ、多くの人に支えられながら、
一命を拾った島津義弘はもちろん、その子である忠恒も既に亡く、
二代藩主・光久の治世となっていた明暦のころ。
江戸に出ることになった光久の嫡子・綱久は、
薩摩阿久根港から本州に向かう船を待っていたが、
阿久根に程近い出水の地頭のことを思い出し、
関ヶ原の話など聞こうと召し寄せた。
齢八十にならんとする山田有栄は、
「この年になると、目も良く開きませんでな。」
と、瞼を指で押し開いて綱久一行を見回すと、言葉を続けた。
「さて、かの退き口のこと、残らずお話しいたしましょう。
・・が、それには若殿はじめ皆様、三日ばかり絶食していただけますか?
今の有様では、とても話せませんな。」
そう言って、また瞼を指で押し開いて綱久らを見回した。
ここでようやく一同は、有栄が何を見ているかに気づいた。
有栄は、綱久の近習たちの着物を見ていた。
粗末な木綿の裃を着た有栄に対し、
近習たちは絹の羽織を着ていたのだ。
綱久はじめ若者たちは、言葉もなく恥じ入ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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