関ヶ原にて☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

島津豊久が、関ヶ原にて討ち死にしたのは、

彼が討ち死にせねば、島津の総勢が撤退すること困難だったためで、
彼とその配下500ばかりが一ヶ所において討たれた。

 

忠死というべきであろう。

 

これによって島津の兵は事故無く引き取れたのである。
ただし大勢が、豊久が討たれたその場で腹を切って死んだ、と云うのは嘘である。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 島津の退き口、島津豊久

 

 

 

ごきげんよう!