伊東祐兵☆ | げむおた街道をゆく

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慶長5年(1600)7月20日、西軍の伏見城攻めに伴い、

大坂にいた伊東祐兵にも出兵が命じられたが、

祐兵は病を理由に兵を出そうとはしなかった。

この事態に西軍の伊東領に近い大名、秋月種長と高橋元種、島津豊久が集まり協議した。
「伊東め、すでに東軍に通じておるのか、病を理由に顔も見せん。

この上は一気にヤツの屋敷に押し寄せ討ち果たすか、

それとも何か策をもって招き寄せ、暗殺するべきか。」

「いや、祐兵はこの豊久の親友だ。

これから私が伊東の屋敷に行き、何としても対面して様子を見て来よう。

本当に病でやましい所が無ければそれで良し。

もし仮病であるならば、引き立てて参る。

同行を拒否しても、私が刺し殺す。

簡単なことだ、しばしお待ちあれ。」

祐兵に会った豊久は、その衰弱の様を見て思わず落涙し、しばし語り合った後、言った。
「私は今度の戦で討ち死にを覚悟している。

貴殿の容態も望みは薄いようだ。
二人で会うのも、今日限りであろう。

ならば、ここで後の世も我ら子孫が兄弟たるべく契りを交わそうではないか。」

この言葉に祐兵も涙を流し、数えで12歳になる嫡男の祐慶を紹介した上、

豊久と誓紙を交わし、

「これで今生の別れだな。」

と、また互いに泣いて別れた。
 

戻った豊久は、
「祐兵に叛意は無い。病も本当で、すでに死相が表れ、もはや頼りない有様だった。」
と報告したので、三人でまた泣き、伊東の裏切りは虚報という事で落着した。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 島津の退き口、島津豊久

 

 

 

ごきげんよう!