日新柱☆ | げむおた街道をゆく

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島津忠良の父・善久は横死。

祖父の久逸は戦死したため、一児の母である常盤が伊作島津家の当主となった。


しかし政務の傍ら、大事なひとり息子の忠良を養育していくのは容易ではない。
そこで忠良を海蔵院の頼増という僧に預ける事にした。

が、良家の子息らしくお寺でおとなしくしているかと思いきや、
幼年時の忠良はまさに悪童であった。

その日、忠良は勉強を怠った。
始末に困った頼増は、忠良を柱に縛り付け罰した。
 

その話を聞いた常盤、

「それはそれは良き師を得たものだ。」
と涙ながらに喜んだという。

…常盤は自分の息子を相当持てあましていたのだろうか?

忠良が縛られたこの柱は、寺と共に一時消失したものの、
寺が再建された時に縛られた位置にあった柱を、日新柱と称する事にした。
歴代藩主は、この柱に接して修養の戒めにしたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 島津氏中興の祖、島津忠良

 

 

 

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