ある時、加藤清正が、立花宗茂の重臣である小野和泉(鎮幸)と歓談していたとき、
和泉にこんなことを尋ねた。
「和泉殿、あなたは書状の往復に困却することは無いか?
私の如きは、幼少より戦場にのみ臨んで、更に読書習字をする暇が無かったために、
今日に至るまで書状の往復には常に困難を感じることが多いのだ。」
和泉はこれを聞くと、
「私は61歳まで、いろはのいの字も知らなかったのです。
ですが、かつて高麗在陣の時に、
毛利甲州殿よりの書状が至りました。
その時、私は賊の首実検をしていたのですが、この書状を読もうと思ったものの、
それが出来ず、
立花の家老とも称され、60にもなろうという者が書状を読むことさえ出来ないとは、
この和泉一人の恥辱にとどまらないと、冷や汗を流しました。
この時は幸いに、内田玄恕が、たまたまこちらに来たので、
書状を見せて彼に返書を書かせました。
しかしこの事は深く私の心に刺さった出来事でした。
そのため、帰国してから妻にいろはを書かせ、
習字を練習しました。
これによって幸いに、今日においてはにじり書きだけは良く出来るようになったのです。」
そう笑いながら語った。
清正は、和泉が謙遜してそんなことを言っているのだと思ったが、
他日立花の諸士に聞くと、
果たして小野和泉の言に違いはなかった。
清正は感嘆して、
「古より偽りがないのが武士であるとは聞いているが、
和泉ほど偽りのないものは稀である。
小野和泉こそ、真の武士の典型である。」
と語ったそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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