大友義鑑には、3人の子があったが、
惣領である義鎮(宗麟)に家督を譲ろうとしなかった。
彼の後妻が産んだ、到明子殿という末子に家督を譲ろうと考えていて、
義鎮に対しては普段から対面することもなく、到明子殿への本意は深かった。
身分の高い者でも低い者でも、継子継母の関係ほど難しいものはない。
到明子殿の母は義鎮を失わせ、どうにかして到明子殿を大友家の当主に立てたいと、
日夜胸を痛めており、
彼女は家老の入田丹後守親誠を頼った。
丹後は心得、それからはいつもよりも義鑑に忠を尽くし、
抜きん出た奉公をして義鑑から高い信頼を得、
義鑑は何事も丹後に相談するようになった。
ある時、義鑑は丹後を召して問うた。
「義鎮については、私は思うところがある。到明子に代を譲るのはどうだろうか?」
丹後、畏まり、
「ご質問でありますから申し上げます。
ご兄弟の皆様は何れも御器用にてあられますが、
中でも到明子御曹司は世に超えた人物であるところ、人々は広く沙汰しています。
大友中興の祖である親世公の生まれ変わりではないかとすら思われます。」
などと様々に褒め上げると、義鑑は大いに機嫌を良くした。
その後、義鑑は義鎮に対し、湯治のため別府へ出かけさせた。
そして重臣である、
斎藤播磨守、小佐井大和、津久見美作、田口といった人々を召して言い渡した。
「私は到明子に家督を譲ろうと考えている。」
この言葉に一同は驚き、
「一体どういう理由で義鎮様を差し置いて、
後末子の到明子殿に家督を譲られるのですか!?
御意ではありますが心得かねます!」
そう、一斉に反対した。
これに義鑑は何も言い返せず、機嫌を悪くし、重臣たちはそれぞれ御前を下がった。
義鑑は、
「あの者達を誅殺し心のままにせん。」
と、その日の暮れに斎藤、小佐井の両名を召して、大門において誅した。
この時、津久見、田口の2人も召されたのだが、詐病をして登城しなかった。
彼らは斎藤、小佐井が殺されたことを聞くと、
「我々ももはや逃げられぬだろう。ならば。」
彼らは密かに大友屋形の裏門から入って二階の間に入ると、
「到明子殿に久しくご対面していない。
さぞかし成長された事だろう。
少々御目見得をさせて頂きたい。」
警備の者達にそう言いながら奥の高間へと強引に入ると、
そこに居た到明子を一刀に斬り殺し、引き取る刀で彼の母も害した。
そして一の台にいた局たちを一人残らず切り伏せ、田口は二階の間から居間へと通り、
義鑑が上段に居たのを駆け寄って斬った。
田口はお側の衆に討ち取られたが、大友義鑑もこれで深手を負い、
天文19年2月9日、遂に儚くなった。
どういう御分別だったのだろうか。
実に浅ましい事である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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