大友義鑑は、激怒していた☆ | げむおた街道をゆく

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天文8年(1539)、豊後の大友義鑑は激怒していた。

 

何故か?

それは同じ九州の大名、肥前有馬氏と日向伊東氏が、京の将軍・足利義晴に対し、
大友氏と同ランクの官職を与えてもらえるよう密かに運動していたことが発覚したからだ。

大友義鑑は、京の将軍に対し猛烈な抗議文を贈った。

『有馬や伊東は、大友から見れば被官並の家柄でしかありません。
そんな者たちに我々と同ランクの官職など、決して与えてはいけません!』

しかし足利義晴は大友の抗議をあっさりの却下。

有馬・伊東は官職において、大友氏と同格になってしまった。

大友氏にとって、この上ない屈辱的事件であった。

この事件があってから大友氏は、それまで以上に将軍家に接近し、

後に九州における室町幕府の最高職である『九州探題』を得ることと成る。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 二階崩れの変、大友義鑑

 

 

 

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