豊臣秀吉、大友義統に怒る☆ | げむおた街道をゆく

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朝鮮の役、文禄二年一月(1593)、

明軍は攻勢をかけ4万3千の大軍で小西行長らが守備する平壌を包囲した。
 

この時、小西行長から救援要請を受けた大友義統は、

行長が戦死したという虚報を信じて撤退し、
鳳山城を放棄した。

この報を受け豊臣秀吉は激怒、すぐに義統を名護屋に召喚した。

「義統! 今回お前を渡海させたのは何のためか!
大名でもあり朝鮮の地理にも詳しい、

それ故に諸将が危機にあったときにこれを救う遊軍としての役割を期待して、

朝鮮に渡らせたのだ!

それがどういう事だ!
明の大軍を恐れ小西を救わず、

それだけではなく急の出陣に度を失い慌て騒いで逃げ出したこと、

前代未聞の怯懦臆病である!

この秀吉は卑賤の昔からこの年まで、未だ敗北と言う屈辱を蒙ったことが無かった!
それなのにお前が、この戦役でも初めて明軍のために敗走し恥を晒した。
これはお前一人の恥ではなく我々全体の恥であり、日本国の瑕瑾である!

お前が昔島津と戦ってわしに援軍を頼んだとき、わしにはお前を助ける言われは無かった。
にもかかわらず援軍を出したのは、助けを乞われてこれを捨ておくことは、

武将として恥辱であると、そう考えたからだ!

そうして援軍を派遣した時も、お前は島津の少勢に破られ、本城に入ることすら出来ず、
妙見龍王あたりまで逃走していた。

これは浅知と呼ぶべきか臆病と呼ぶべきか、
少なくとも武士の列に入るものではない!
それでも我が兵は島津を追い払い、お前を本城に返してやった。

それから、以前の諸侯昇殿の時、お前はしきりに羽柴の姓を欲しがった。
大友といえば頼朝以来の名家である。

それ故にその氏が改まらないようにと、わしはわざと我が姓を与えなかったのに、

お前はわしの深い考えを悟ること無くしきりに所望した。
それで仕方なく羽柴姓を許した。
これもお前が愚かな故であるが、

わしにもお前の願いは聞いてやりたいとの心があったためだ。
そうであるから天意を伺い、お前に官位も頂いてやった。

が、お前は何だ!

その様なわしの心を気にもせず、不義臆病な振る舞いをし、
秀吉に恥辱を与えるとは!

この上はおまえの首を跳ね諸人の見せしめにもするべきであろう!
…だが!」

大友は頼朝以来の名家あるため、その故を持って、義統は死罪だけは免じられ、所領は没収。
義統は他家お預けとなったとのこと。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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ごきげんよう!