天正十三年(1585)、秀吉による四国征伐の結果、
蜂須賀家政は阿波十七万五千石の太守となった。
そこで家政は先ず、要害堅固で知られた山城・一宮城(徳島市一宮町)に入ったのだが、
ここを居城とせず、
新たに平野部の吉野川河口に新城を造ることとした。
これを聞いた蜂須賀家重臣・武市信昆は諫言をする。
「平地の城では一旦事が起こった場合、甚だ不利となってしまいます!」
蜂須賀家の防衛を考えた場合、当然の懸念であろう。
が、家政は笑って武市を諭した。
「秀吉公の武威により、今から百年後までも世の中は泰平となり、
武備の要という物も必要が無くなるだろう。
であれば地の利を頼むより、むしろ人の和を頼むべきではなかろうか?」
だからこそ平地に新たな城を造るのだ。
武市もこれに納得し、新城、徳島城の建設は始められた。
その縄張りには築城家として有名な林道感と、
当の武市信昆が当たったと言う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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