兼定、暗殺事件☆ | げむおた街道をゆく

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天正三年、渡川(四万十川)合戦で、長宗我部元親に大敗をした一条兼定は、
その後宿毛にて抵抗するも長宗我部勢の猛攻の前についにこれを放棄、

伊予国戸島へと逃れた。

しかし、この戸島において兼定は、

当地の領主・法華津氏の援助を受けながら、一門や家臣団を糾合。

再起の体制構築を進めるとともに、宿毛、平田の反長宗我部勢力を扇動。
元親にとって、重大な脅威となりつつあった。

そこで元親は、かねてから内通していた一条兼定の側近・入江左近を呼んだ。

「兼定公を暗殺して欲しい。」

目的を果たせば莫大な恩賞を与える。入江はこれを承諾した。

数日後、入江は戸島の兼定の許に現われた。
「御家再興の為、どうぞ私にも力添えをさせてください。」

兼定はこれに大いに喜び、自分に仕えた者たちの消息の話などしながら、
深夜まで歓談したと言う。

やがて寝所に下がる。

深夜、入江は兼定の寝室に忍び入り、寝ている兼定に斬りつけた。

手応えはあった。四国軍記によるとこの時兼定は、入江の二の太刀で左肘を、
断ち切られたとのことである。

それでも兼定は反撃をし、一太刀を浴びせかけたがかわされた。

入江は逃げ出し、
海岸に用意しておいた船に飛び乗ると、そのまま沖へと漕ぎ出した。
騒ぎに気づいた兼定の家臣たちが追いかけたが、他の船のとも綱が全て切られており、
どうすることも出来なかった。

そして入江は無事元親の許に帰り、一部始終を説明した。すると元親は、
「主君を斬ったような大罪人は、生かしておけぬ。」
と、入江を即刻打ち首にした。

兼定は重症であったが一命は取りとめ、

その後八年生き、天正十三年、秀吉による四国征伐のさなか、
「南方にある元親の居城を睨み、憤怒しながら。」

その生涯を閉じたと言う。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 四万十川の戦い、一条兼定

 

 

 

ごきげんよう!