一条従三位権中納言兼定卿は、その頃、御諱を改められ康政と号せられた。
この卿は元来から性格が軽薄であり、常に放蕩を好まれ、人の嘲りも顧みず、
日夜酒宴・遊興に耽り、
男色女色しへつらいを受け、又は山河に漁猟を事とし、
軽業、相撲、異相の者に熱中し、
近習の輩とは主従の隔てがなく、
まるで親友同士のように肩を押し膝を組む有様であった。
ある時は男女を集めて踊りを踊らせ、その中に立ち交ざり、祭礼の場や説法の道場にも、
深編笠をかぶり頬かむりをして人々に交ざり、男に触り女にもたれかかり、
様々な戯れをされていたが、
人々がそのことを知らないとでも思われていたのだろうか、
外様の人々に向かっては、立ち振舞・行儀重々しく、
目を見返すことすらセず、軽々しく言葉もかけなかった。
鷹狩、巻狩などの折に、往来の旅人がそのことを知らず、
傘をかぶったまま、あるいは馬に乗ったままで通りすぎようとする者があれば、
奇怪であると鉄砲を撃ちかけ弓を射かけ、又は人を駆けさせその者を打擲させた。
無礼不義を許さぬと、僅かな罪であっても許すことがなく、
大小上下、心を安んずる時がなかった。
老臣である、土居、安並、羽生、為松といった人々は、
主君に不義があるのを見て諫言をしたものの、
これを受け入れることもなく、慢心のままに振舞われていた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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