阿波、三好実休の後を継いだ三好長治は、強権的な統治をしたという。
元亀3年(1572)春、かれは讃岐において鷹狩をした。
木太郷の深江と言う場所で長治自ら、鴨の群れにあわせて鷹を放つ。
鷹は鴨を掴み、そのまま真部の見勇利権之助という者の家の前に落ちた。
この時、権之助の家に使えていた若松というまだ幼い少年がこれを見つけ、
恐ろしい物が落ちてきたと思ったのであろうか、
火焚き棒で鷹、鴨ともども打ち殺してしまった。
長治はこれを知ると激怒し、その少年を捕らえさせ、
「牛裂きにせよ!」
と命ずる。
少年は両足を牛二匹に縄で結び付けられ、牛を左右に追分け両足を二方に引き裂いた。
人々はこれを見て恐れ震え、
「あの子供は是非をわきまえて、あんな事をしたわけではないのに、
その刑罰は、あまりに暴虐にして無道である。」
と口々に語り、多くの人心が三好氏から離反した、と言われる。
三好長治讃州鷹狩での逸話である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!