三好長治様は、夜昼の境もなく酒盛りをされ、真面目な性根など少しもなかった。
また、御家を差配していた篠原玄蕃殿は、篠原自遁の子息であったが、
これも大酒飲みで夜昼酒盛りをされ、公事沙汰の取り扱いをまともに行える人がおらず、
理を非にして、多くの人の恨みを作っていた。
天正4年12月1日の事である。
別宮のある者、村で小舟に乗って居た所、三好長治様が、
この辺りで鷹狩をなされていて、この者に対岸に渡るため船を渡せ、と仰った。
この時、この者は、
「船が汚れております。」
と申し上げると、長治様はこれを曲事だとお考えになり、
彼を成敗した、という。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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