戸川秀安は、性質廉直、柔和にて仁慈あり、故に政事賞罰の事について、
主君である宇喜多直家に不直が有る時は、何度も押し返し諌めて正理に行い、
またこれ故に人々は彼を敬い懐いた。
岡平内(家利・後豊後守)と長船又三郎(貞親・後越中守)は共に短慮であり、
どうもすれば口論に及んだが、秀安はこれを宥め諭し、
「この三人が不和になった時は、主家破却の基であるぞ!」
と涙を流して説得した。故に両人も和平したという。
また、宇喜多直家は表裏有る将であり、時々、相違う事が多いことを隣国も知っていて、
宇喜多と何かしら議する事が有る時は、彼らは戸川秀安から起請文を乞い取って、
これを実であるとした。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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