水野勝成は、天性凶暴な性格で、父の不興を蒙り、刈谷城を出て都にのぼり、
六左衛門と名乗った。
世に伝わる話によると、勝成は、父・忠重の納所の役人を召して、
「俺は我が家の嫡子であり、終には家を譲られる身である。
父が持っている宝は、尽く我が物となるのだ。
お前たちも、終には俺に仕えるべき身であろう?
それなのにお前たちが、ややもすれば俺に思う様に金銀を渡そうとしないこと奇怪である。
今後は、いかほどでも、何度でも、必ず渡すように!」
これに役人。
「どうして仰せを背くでしょうか?ですが、大殿の御物をわたくしに奉ること、
我々が罪を被るのは物の数では有りませんが、貴方様がお咎めを受けるのをはばかって、
お渡しできないのです。
どうか如何にもして、一度大殿の許しを得られたならば、
その後は何度でも、仰せに従ってお渡しいたします。」
これを聞いて勝成は激怒した。
「父に申すべきほどなら、おのれらにこのように言うものか!」
そう言うやいなや役人の首を打ち落とした。
その後、父忠重の気色、日を追って宜しからず、
「このままでは、俺も頸が斬られそうだ。」
勝成はそう思い、刈谷を逃げ出したということである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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