高木内記の殉死☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

元和二年、池田利隆が亡くなった。

 

高木内記は起臥の愛を受けたというわけではないが、
無双の寵臣であった。

 

これ故に高木は、

「かねてより覚悟したことなので殉死する。」

と言った。

これを番大膳と芳賀内蔵助は、

「内記が殉死するならば、私達も莫大な御恩を蒙った以上は存命しがたい。

しかし、一国の政事を執ってゆく二人が殉死することは、
幼君に対してこの上ない不忠だ。

だから私達は他の人口などに拘らずに幼君を守り立てる所存だ。
どうか内記も殉死は止めてくれ。」

と理を尽くして留めた。

高木はひとまず二人に対して殉死を留まったのだが、

かねてより思い詰めたことであったので、
利隆の死後、四十九日に当たる日より食を絶ち、その年の八月二十日に餓死した。

当時、高木の死は、

「世上の殉死よりも、ひときわ困難な死を遂げた。」

と評された。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 播磨姫路藩第二代藩主、池田利隆

 

 

 

ごきげんよう!