元和二年、池田利隆が亡くなった。
高木内記は起臥の愛を受けたというわけではないが、
無双の寵臣であった。
これ故に高木は、
「かねてより覚悟したことなので殉死する。」
と言った。
これを番大膳と芳賀内蔵助は、
「内記が殉死するならば、私達も莫大な御恩を蒙った以上は存命しがたい。
しかし、一国の政事を執ってゆく二人が殉死することは、
幼君に対してこの上ない不忠だ。
だから私達は他の人口などに拘らずに幼君を守り立てる所存だ。
どうか内記も殉死は止めてくれ。」
と理を尽くして留めた。
高木はひとまず二人に対して殉死を留まったのだが、
かねてより思い詰めたことであったので、
利隆の死後、四十九日に当たる日より食を絶ち、その年の八月二十日に餓死した。
当時、高木の死は、
「世上の殉死よりも、ひときわ困難な死を遂げた。」
と評された。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!