興国公(池田利隆)が、備前にいらっしゃったとき、黒母衣の指番が一人欠けてしまったので、
このことを姫路に窺うことが二度あった。
国清公(池田輝政)の仰せは、武州(利隆)の旗本の士で、
その器に当たる者であれば、この職を命じて構わないので、
予の指図には及ばないとのことであった。
このとき興国公は津田将監を呼ばれて、
「此度汝を姫路に遣わす。
指番母衣の事を予ではなく大殿の御指図を承って帰ってくるように。
弓矢のことは重きことなので、若輩のそれがしの愚眼の証とはしたくない。」
と仰せられた。
津田は仰せの通り慎んで命を承ったが、
「されども大殿の御前で、君の御底意はどうなのかと仰せがあったら、
誰と申し上げるべきでしょう。」
と申したところ、興国公は、
「もしそうであるなら、我が旗本の沼市蔵が、この役を勤めるべきである。」
と仰せられた。
津田は御前で料紙を乞い、沼の姓名を書き記して懐に仕舞い、姫路に参り国清公の御前に出た。
件の指番のことを申し上げると、国清公は、
「武州は性質律儀第一、念の入った弓矢の沙汰をするので、
そうであるなら沼市蔵を命じるべきだろう。」
と仰せられたので、津田は頭を畳に付けて、
「御両君の御心、合し候。」
と言って、件の書き記した沼の姓名を扇に据えて差し上げたので、
国清公は大いに津田の御用意の程に感心され、
「汝の岐阜での働きは今でも覚えている。若き武州によく仕えよ。」
と仰せられた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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