輝政の家督相続☆ | げむおた街道をゆく

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小牧・長久手の戦いの後、ある人が語ったところによると、
三河への中入りは池田勝入が再三願ったからやらせたのに、

そのせいで秀次は大いに敗軍した。
 

勝入と之助などは猛将勇士といえども討ち死にし、
秀吉は大いに不覚を取ったことを怒っていたので、
勝入の跡目はどうなるだろうと危ぶまれていた。

勝入の家臣・伊木清兵衛は元来秀吉と情が厚かったので、
輝政に継がせるように度々申していた内に、
秀吉の陣屋に輝政や他の家臣を伴って参上するように、
指示があったのでいずれも参上した。

陣屋は秀吉がいる間は八畳、次の間は十二畳あるところで、
輝政は敷居の内際、清兵衛は敷居の外際、

森寺清右衛門・土倉四郎兵衛・片桐半右衛門・日置猪右衛門・和田八郎等は、

清兵衛のあとに並んで俯伏していた。

「勝入の今までの居城、大垣は輝政に与える。
輝政は年若なので老功の清兵衛を勝入同然に思うように。
家老どもも清兵衛の差図に背くことなく輝政に忠勤をするように。」

と、秀吉がおっしゃったので、各々拝礼をして退出するときに、
清兵衛が喜びの余り臥し転ぶ(体を地に投げ出して、あちこちと転げ回った)のを、
秀吉が見て、喜びが身に余って見えるのは忠誠心からなのだなぁと感心して褒めたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 雄々しく逞しく、池田輝政

 

 

 

ごきげんよう!