宍戸隆家☆ | げむおた街道をゆく

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宍戸隆家の先祖は、源義朝と妾との間に生まれた八田知家であった。
 

平治の乱の時に源氏が禍にあったため、藤原氏の子として難を逃れ、のちに頼朝に属した。
その八代孫は安芸に下り、宍戸朝家と号した。
 

それからまた数代の子孫である宍戸元源は甲立城(五龍城)を領有し、

毛利元就の郡山城、高橋権頭(高橋興光?)の猪掛城と鼎立を成したがいに争っていた。
 

あるとき毛利元就は甲立城に出向いて宍戸元源と対面し、
「我が祖先・大江広元は源頼朝の家臣であり、御辺の先祖は頼朝の兄弟であります。
それなのに御辺に対して戦をするのははなはだ無礼といえますので、降参いたします。」
と言うと、元源は大いに感動し、
「御辺は我より大身であるから降参とはもったいない。

我らが降伏いたしましょう。
どうか嫡子隆家(宍戸隆家は元源の孫)を婿として取り立ててください。」
 

このときから宍戸氏は繁栄し、隆家の三女(清光院)は毛利輝元の内室となり、

隆家嫡子の宍戸元秀、その嫡子の宍戸元続も八万石を有し朝鮮にて数度功名を成した。
元続の娘を輝元の養子とし、小早川秀秋に嫁がせた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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