亀井茲矩は、秀吉から出雲半国を賜るはずであったが、
毛利と講和してしまったため、お流れとなった。
そこで代わりの国の希望を聞かれたところ、茲矩はこう答えた。
「琉球国をいただきたい。」
それに対して秀吉は扇にこのように書いて手渡した。
「亀井琉球守殿」
史上初めて琉球守なる官職が生まれた瞬間である。
その後、実際に秀吉に琉球征伐を申し出て、一旦は許可されたが、
琉球関連は島津専属になったため、またお流れになってしまった。
しかし茲矩は、諦めない。
今度は台州守を号し、中国に領土をもらおうと画策した。
でも結局、唐入りは失敗したため、これもお流れになってしまった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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