学問をするものは、その国その家の知性であるのだから、何よりの宝である。
しかしこれも、悪く学んでは、中国の大内殿のようになってしまう。
どういう事かといえば、大内義隆殿は書籍に関してどんなものでも暗いということがなく、
七書などは空で覚えて、
「良将は戦わずして勝つ道理なり、また戦って勝っても不慮の勝ちである。」
などと言って、はかりごとの沙汰ばかりをしていた。
そのため大内殿の家中の者達は、近習も外様も皆、はかりごとの吟味ばかりしていた。
せめて一手の大将をするほどの者であれば、はかりごとを心にかけるのも当然であり、
開戦して討ち取れない敵にはかりごとを入れるが、
こういう事は大将、あるいは家老、侍大将が行うことである。
もし外様の侍たちが、計略を心がけて戦場での働きを心がけないなら、
その大将の下に槍を突く者は、いなくなってしまうであろう。
学問をするのは良きことである。
しかし、大内義隆殿の学問は滅亡の原因となった。
それは、大内家の大身者である相良遠江守、陶尾張守という二人が不和となったが、
義隆殿は相良を愛して、陶を殺そうとした。
そのため陶は大軍を擁し義隆殿を攻めると、
義隆殿は、かねてから心がけていた、はかりごとをすることも出来ず、
打ち負けて石見国の吉見氏を頼って、
その勢二千あまりで落ちていった所を、
陶が追撃したため落ち延びることが出来ず、
ついに自害した。
しかし、もし日頃から槍の柄を取って戦う心がけのある士がいたなら、
時の運で合戦に負けたとしても、
義隆殿の身はつつがなき様に防いで落とすことは容易かったであろう。
ところが、いらざる知略の工夫建てに年を暮らした為に、
従う武士まで言い甲斐のない死をしてしまったのである。
このたぐいの学問は、しないほうが良いのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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