親の長左衛門は、その一命を☆ | げむおた街道をゆく

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備中高松城の戦いより二、三ヶ年の後、

小早川隆景、吉川元家は、御上洛され、太閤様(豊臣秀吉)より様々に饗された。

その上で「陸地の仕置」(境目の確定)を頼むとの御意にて、

黒田官兵衛殿を差し添えその作業を成していた頃、

清水宗治の遺児である清水源三郎(景治)は、この境目が未だ確定していない状況の中、
所属の決まらない、備中の河辺牢人のような体でそこに在った。

この時、小早川隆景公、黒田官兵衛殿は、

源三郎の私邸に立ち寄られると、このように申した。


「この度、太閤様の御意に、清水宗治については比類なき者であり、

その子供が有るなら御自分の元に差し上げるように、知行などを遣わす。

との仰せである。」

これに対し源三郎は答えた。


「御意の段、千萬忝き儀であります。

しかし親の長左衛門(宗治)は、その一命を毛利家の用に立てました。
である以上、私も輝元家中に在って、奉公仕りたいと考えています。」

これに隆景公、官兵衛殿は、
「尤もの申し様であり、比類のないものである。

仰せに成ったこと、太閤様に能々申し上げよう。」
と仰せになった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 能吏として毛利家を支える、清水景治

 

 

 

ごきげんよう!