ただ一人、安国寺恵瓊は☆ | げむおた街道をゆく

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朝鮮陣、慶長の役において、朝鮮の帝都(漢城・ソウル)にあった、

明の派遣軍の司令官、楊鎬、麻貴は、

漆川梁海戦、南原城の戦いに敗北し、

全羅道全域を日本軍に制圧されたことを無念に思い、
ことに、
「大明の加勢は何のために来ているのか。」
という朝鮮王自身の発言を始めとした朝鮮上下からの悪口の広まりを恥と思い、

80万騎を引き連れ蔚山表へと出陣した。

 

第一次蔚山城の戦いが始まろうとしていたのである。

慶長2年(1598)12月中旬ごろ、明軍との最前線に在った、

毛利輝元軍の安国寺恵瓊の人の前に、
巨大な板にによる書付が立てられていた。

 

そこにはこう書かれていた。

『今月22日、必ずこちらに出陣し、一戦に及ぶべし。
各々随分籠城の用意あるべき。』

これは漢文で書かれていたため、士卒たちに読めるものは居なかったが、

ただ一人、安国寺恵瓊は、これが読めた。

恵瓊はその内容を見ると、2つ立っていたこの板を取り隠し、

組中の士にも知らせず、
自分は病を患ったと言って、配下の軍兵も残したまま、

小姓と徒歩の者達少々だけを召しつれ、
密かに抜けだして釜山まで退いた。

このため明軍の意図を知るものを、蔚山には一人も居なかったのである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 藤吉郎さりとてはの者、安国寺恵瓊

 

 

 

ごきげんよう!