小堀遠州殿が若い頃、当地奈良で方々の茶会に出られた中で、
「興福寺最福院の茶会が飛び抜けていた。」
と言われた。
私(久保長闇堂)が、
「一番の点前上手です。」
と申した所、
「その事ではありません。
あそこでは唐物茶入の小さな尻膨を、袋(仕覆)に入れないで茶を点て、
その後薄茶にもその茶入を持ち出されました。
その仕方に、茶入を秘蔵していないのだという心持ちが出ていて、非常に良かった。
また薄茶にも良い茶を飲めました。
この二つにおもしろさがあった。」
そう仰られた。
若い頃であったが、茶湯の見方が既に常の人とは違っていたのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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