故太閤の遠忌☆ | げむおた街道をゆく

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或る年、京都において故太閤秀吉の遠忌を、

彼の側室であった松の丸殿(京極竜子)という人が、

それまで存えていて、ある寺にて法会修行を行ったが、

京都所司代である板倉重勝は、これを聞くと直ぐに、

武士を遣わして法席を破らせ、参詣の男女を追い散らした。

人々は、板倉がなぜそのような行為に出たのか聞くことも出来ず、

例の京童たちは口さがなく、
彼の行為を批判した。

そんな中、ある人がこう評した。
「幕府にとって秀頼公については敵対したため憚りが有るが、

故太閤については仔細は無い。
だからこそ、その位牌は高台寺に置かれており、

その菩提を法令するのを、伊賀守(勝重)は無法に制することはしていないし、

忍びて修行している分には、これを聞いてもそのまま差し置いている。

しかし今回は「松の丸殿が故太閤の遠忌を修行する」と宣伝し、参詣の人々が群衆したため、
所司代を軽んじたと憎んだのだろう。

また宣伝しての作善は、関東の聞こえ悪しき事でも有る。
その上松の丸殿というのは、元若狭国。

武田元明の妻であった。

しかし秀吉がその容色を聞き及び、

元明を殺してこれを奪い取り、妾としたのである(古くからある誤伝)。
貞節なる女人ならば、秀吉を恨みこそすれ、これを慕うべきではないだろう。」

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 京都町奉行、板倉勝重

 

 

 

ごきげんよう!