或る年、京都において故太閤秀吉の遠忌を、
彼の側室であった松の丸殿(京極竜子)という人が、
それまで存えていて、ある寺にて法会修行を行ったが、
京都所司代である板倉重勝は、これを聞くと直ぐに、
武士を遣わして法席を破らせ、参詣の男女を追い散らした。
人々は、板倉がなぜそのような行為に出たのか聞くことも出来ず、
例の京童たちは口さがなく、
彼の行為を批判した。
そんな中、ある人がこう評した。
「幕府にとって秀頼公については敵対したため憚りが有るが、
故太閤については仔細は無い。
だからこそ、その位牌は高台寺に置かれており、
その菩提を法令するのを、伊賀守(勝重)は無法に制することはしていないし、
忍びて修行している分には、これを聞いてもそのまま差し置いている。
しかし今回は「松の丸殿が故太閤の遠忌を修行する」と宣伝し、参詣の人々が群衆したため、
所司代を軽んじたと憎んだのだろう。
また宣伝しての作善は、関東の聞こえ悪しき事でも有る。
その上松の丸殿というのは、元若狭国。
武田元明の妻であった。
しかし秀吉がその容色を聞き及び、
元明を殺してこれを奪い取り、妾としたのである(古くからある誤伝)。
貞節なる女人ならば、秀吉を恨みこそすれ、これを慕うべきではないだろう。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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