天正十六年(1588)、徳川家康公は、駿河の国府に移住されるに際して、
多くの御家人の中から、板倉勝重を、ここの町奉行にしようと仰せ下された。
しかし勝重はその任に堪えられないとの理由を言い、
固くこれを辞した。
しかし家康公はそれを許さず、そこで勝重は、
「ならば宿所に帰り、妻と相談して、ご返事をしたいと思います。」
と申し上げた。
家康公は笑われ、
「さもありなん、罷り帰って相談せよ。」
と仰せ下された。
妻は勝重か帰ったのを迎えて言った。
「悦ぶべき事が有る、と告げてきた人が居られました。
いかなる幸いでしょうか?」
これを聞いた勝重は微笑んで、物も言わず衣装を脱ぎ捨て座に直り、
妻に向かって、
「されば今日召されたのは余の儀ではなく、今度御座所を移されるに依って、
かの町の奉行になるようにと仰せ下された。
私はこれを辞したのだが御免無く、『であれば私は家に帰り、妻と相談します。』
と申し上げて罷り立った。
さて、御事はそのことを如何思うか?」
妻は大いに驚き、
「あな浅ましや、私事であれば夫婦で相談するという事もあるでしょうが、
公の事に、このようにすべきでしょうか?
ましてや上より押して下される所であり、殊に職に堪えないか堪えるかは、
あなたの心にこそ有るものですから。私がどうして知れるでしょうか。」
このように答えると、勝重は、
「いやいや、この職に堪えぬ堪えるは、我が心一つの事ではない。
御身の心によることである。
先ず、心を静めて聞いてほしい。
古より今に居たり、異国にも本朝にも奉行などと言われる者で、
その身を失い家を滅ぼさないという者は稀である。
或いは内縁に付いて、訴訟を断る事は公ではない。
或いは賄賂によって理を分かつという事には私が多い。
これらの禍、多くは婦人より起こる所である。
私がもしこの職に預かった後は、親しき人が言い寄ってくることがあっても、
また訴訟を執るからと僅かの贈物が来たとしても、それらを受けることはない。
これらを始めとして、この勝重の身の上にいかなる不思議があったとしても、
御身は差出て者を言わないと、
固く誓ってほしい。
それを請けなければ私がこの職を預かること、どうしても叶わない。
さればこそ、御身と相談しているのだ。」
妻はつくづくと聞いて、
「誠に宣う所、理屈が通っています。私はいかなる誓いをも立てましょう。」
と言うと、
勝重は大いに悦び、神にかけ仏にかけて堅き誓いを立てさせ、
「この上は思い置くことは無い、さらば参らん。」
と、衣装を引き繕って出ようとし、袴の後ろ腰を押し戻して着た。
妻はその後ろ姿を見て、
「袴の後ろが悪くなっています。」
と言い、立ち寄って直そうとした。
勝重は、これを聞くやいなや、
「さらばこそ、私が妻に相談したいと申したのは過ぎたことではなかった。
勝重の身の上にいかなる不思議が有ったとしても、
差出た事を言わないと誓ったばかりなのに、
早くも忘れている。
今御身から承った事は間違いだった。」
と、また衣装を脱ぎ捨てようとした。
妻は大いに驚き悔やみ、様々な証文を勝重に参らせた。
「ならばこの事を、いつまでも忘れないように。」
そう言って、勝重は御前へと参った。
家康公は、
「如何に、汝が妻は何と言ったか。」
と仰せになった。
「妻は、承るようにと申しました。」
「さこそはあらめ。」
家康公はそう言って、大いに笑われたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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