天正12年、織田信長の二男・信雄の家臣である滝川雄利の子を、
羽柴秀吉は人質に取り、脇坂安治に預けた。
この後、織田信勝と秀吉は交戦を始めた。
滝川雄利は安治を謀って、人質を取り返そうと、偽って、
『あの子の母が重病に陥りました。どうか対面させてやりたいのです。』
と少しの間、暇を頂くことを願った。
安治はこれを偽りと思わず、親子の愛を憐れみ、私的に暇を許してしまった。
すると滝川雄利父子は伊賀国に逃走し、上野城に籠った。
秀吉は滝川雄利が伊賀上野城に入ったと聞いて、安治に人質のことを尋ねた。
安治は、人質を取られた有様を、ありのままに答えた。
これを聞いて秀吉は激怒した。安治は鬱憤を抱え、
「私が伊賀に赴き、滝川父子が籠っている上野城を攻めて、そこで討ち死にいたします!」
そう申し上げた。
しかし秀吉は、なおも腹を立てて、
「お前のような小身が、滝川父子を攻め取れるものか!
さては滝川に一味し、私に謀反をするつもりか!」
これを聞いて安治は涙を流し、
「主君の厚恩を忘れ、叛逆した滝川に与する事などありましょうか!」
と、自らの母親を人質として残し、主従20騎にて笠木より伊賀に入った。
そして伊賀国の兵に触れ回った。
『羽柴秀吉の使にて滝川父子を討ち取る。
味方を仕り、軍忠ある者には本領を安堵し、城中の人質も返還しよう。』
こう云って国侍たちを一味させ、夜中、密かに上野城を取り巻き、
その夜のうちに攻め立てこれを取った。
滝川父子は伊勢へと逐電した。
この旨を秀吉に注進すると、秀吉は御機嫌にて、
はじめに山岡美濃守を使いとしてその戦功を労り、
後に増田長盛を使いとして、
「国の事、堅固に仕るべし。」
と伝えた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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