秀吉は、その深き志に感じ入り☆ | げむおた街道をゆく

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元亀元年、織田信長は、摂津国野田・福島に立て籠もる三好勢を退治するため、

数万騎を率いて8月20日に出陣した。

 

29日、野田・福島へ寄せ詰め、今攻めるという所で、大坂の本願寺が心変わりし、
信長への反抗を始めた。

この頃、木下秀吉は近江国北野郡にて、浅井長政の小谷城の押さえのために、

横山城に逗留していたが、
摂津国に一揆が蜂起したと聞いて、近江から多くの兵を揃えて、

急ぎ京へ上ることとなった。
 

この時、児小姓や若き者は横山城に残し置く、と命じた。

脇坂安治は、この時17歳であったが、召し連れてもらえないことを無念に思い、

御供の直訴をしようと考えていた所、

秀吉の船を長浜から直に大津に廻すと聞いて、密かにその船に忍び込み隠れた。
船奉行はそうとも知らず、その日のうちに大津に船が到着すると、

安治は船より走り出て松本の傍まで行き、

道脇に伺候して秀吉の馬が来るのを待った。

秀吉は馬上より安治を見ると、以ての外に立腹し、
「我が命に背き、隠れ来る事曲事である!

しかし若輩なる者の志有ることは感じられる。
今夜は側に召し使うが、夜が明ければ、

また船にて長浜に返すべし。」

そう命ぜられ、安治はこれに、「畏まり候。」と答えた。

しかしその夜、また大津を忍び出て京都へ馳せ上がり、

三条の橋の傍にて夜を明かし、また道脇に伺候して御馬を待った。

秀吉は馬上より再び安治の姿を見て言葉も発せず、重ねてここまで来ること、

いよいよ曲事だとは思ったが、
その深き志に感じ入り、それより乗り換えの馬を安治に貸し与え、供をさせた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 貂の皮・異聞、脇坂安治

 

 

 

ごきげんよう!