元の黙阿弥☆ | げむおた街道をゆく

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大和の大名・筒井順昭は、天文十九年(1550)の夏の頃より病に伏せがちとなり、
南都林小路の外館において養生していた。
 

七月七日の七夕祭り、順昭は、

山田道安・慈明寺順國、福須美順弘、飯田頼直らの一族と、
島左近、松倉右近、森好之の三老を密かに呼び寄せ、こう語った。

「我が命もこのままでは、来年の夏まで持たないであろう。

わが子・藤勝(後の順慶)は、まだ幼く、
わしが死ねば、松永らがこれ幸いと攻め滅ぼしに来るのは必定である。

そうさせないための方法を、一つ考えた。

奈良角振町の鷹隼の祠近くに、黙阿弥という盲目の者がいる。

彼は顔立ちや声色、年の頃も、わしによく似ておる。
もし、わしが死ねば、これを秘密にし、密かにこの地に葬れ。

そして黙阿弥に事情を申し含め、
わしの床に入れ置き、お前達も以前と変わらず給仕せよ。
そのようにして三年間、喪を隠し通せ。

そして藤勝を守り立てて、筒井の家を永く残して欲しい。
これがわしの遺言じゃ。」

翌二十年六月二十日の辰の刻、順昭は没した。

享年二十八歳であった。

一族と家老たちは、順昭の遺言通りに、

その翌夜、遺骸を外館の奥に人知れず埋葬し、
それから黙阿弥を密かに呼び寄せた。

 

そして彼に事情を話し、順昭の身代わりとして、
南都林小路外館に置き、一族の4人と家老3人が、依然と変わらず仕えた。
 

この事は、この7人と近習の4、5人の他は、

知る者もなく、筒井家の家中の者たちも、そして敵方も、

順昭は病身ながらいまだ存命であると信じ、筒井領は敵に攻め込まれることなく、
平穏な時をすごした。
この間に筒井家の首脳部は体制を整え、

1年たった天文二十一年(1552)六月、順昭の死を公表した。
大和の諸氏は、大いに驚いたという。

黙阿弥は、多額の金銀や衣服を与えられ、角振町に帰された。

黙阿弥は元の盲目法師となった。

これより、物事に成功して、また昔の状態に戻ることを、

「元の黙阿弥」と呼ぶ様になった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 洞ヶ峠、筒井順慶

 

 

 

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