鳶が、鷹を産む☆ | げむおた街道をゆく

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信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

小田原の役の時、わずか十五歳の浅野幸長は、疱瘡を病んでいたにもかかわらず、
父・長政に、出陣させてほしいと頼みこんだ。

 

だが長政は、

「お前は、まだ若い上に、病気でまともに立っていられないではないか。

共に出陣できるわけがない。」

と許してはくれず、再三頼み込んでもやはり許されなかった。

 

しかし幸長の意志は固く、

老臣の堀田孫左衛門、松井又右衛門と相談して、

先に出陣した父を追って関東までやって来てしまった。

 

そして幸長は、岩槻城攻めで、馬を馳せて首級をあげた。
また、忍城攻めで長政の備えが崩れて引く時、

幸長は槍を横たえて自軍の兵をせき留めると、

「我はここにあり、お前たち私を見捨てるなよ。」

と只一騎進んでいった。

味方はこれを見て一同に引き返し、千駄口の砦を乗っ取った。

その後、ある者が秀吉に、

「幸長は御下知を待たずして、勝手に動きましたぞ。」

と告げたが、秀吉は、
「あの幸長が生まれて七夜目に長政の家に入って、その泣き声を聞いた時、
『これは鳶が鷹を生んだな。』

と誉めたことがあったが、今の働きはまさに逸物の鷹である。」

と大層上機嫌だったので、その者は口をつぐんだ。

 

これによって幸長の名誉は、大いに知れ渡ることとなった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 豊臣家武断派の一人、浅野幸長

 

 

 

ごきげんよう!