小田原の役の時、わずか十五歳の浅野幸長は、疱瘡を病んでいたにもかかわらず、
父・長政に、出陣させてほしいと頼みこんだ。
だが長政は、
「お前は、まだ若い上に、病気でまともに立っていられないではないか。
共に出陣できるわけがない。」
と許してはくれず、再三頼み込んでもやはり許されなかった。
しかし幸長の意志は固く、
老臣の堀田孫左衛門、松井又右衛門と相談して、
先に出陣した父を追って関東までやって来てしまった。
そして幸長は、岩槻城攻めで、馬を馳せて首級をあげた。
また、忍城攻めで長政の備えが崩れて引く時、
幸長は槍を横たえて自軍の兵をせき留めると、
「我はここにあり、お前たち私を見捨てるなよ。」
と只一騎進んでいった。
味方はこれを見て一同に引き返し、千駄口の砦を乗っ取った。
その後、ある者が秀吉に、
「幸長は御下知を待たずして、勝手に動きましたぞ。」
と告げたが、秀吉は、
「あの幸長が生まれて七夜目に長政の家に入って、その泣き声を聞いた時、
『これは鳶が鷹を生んだな。』
と誉めたことがあったが、今の働きはまさに逸物の鷹である。」
と大層上機嫌だったので、その者は口をつぐんだ。
これによって幸長の名誉は、大いに知れ渡ることとなった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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