水庵(渡辺勘兵衛了)が、坂本に居住していた時、
水庵の家来が、大津の町において喧嘩のこと有りと聞いて、
吉村又兵衛(宣充)、その頃は牢人であったが、
水庵のもとに急いで駆けつけてきた。
水庵は、対面するや言った。
「喧嘩見舞いであるのなら、特別のこともないので帰られよ。
ほかに話したいことがあるのなら、飯を食ってから話されよ。」
吉村、
「喧嘩のことを聞いて急いで見舞いに来たまでである。そういうことならば帰る。」
そういって帰ったが、この時、水庵は次男を道まで遅らせた。
水庵は次男に、こう申し含めていた。
「私は直に言わない、汝、密かに吉村に伝えてほしい。
今日の見舞いのこと、吉村には似合わぬことである。
我等の手の者の喧嘩のこと、別にこれといった仔細のあるものではない。
こういう事には天下の大法が大方定まっている。
我が者が斬り殺されれば、相手の者は切腹に成るし、
人を斬れば、此の方の者が切腹と成る。
である以上、気遣いに成ること無い。
こういったことに吉村が大急ぎで京より来るというのは、
まるで一揆合いで手足の働きをするの若者のようではないか。
以降慎まれるように、と。」
然るべき事である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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