関ヶ原の戦い後、渡辺了は、主君・増田長盛の命があるまで郡山城を接収させなかったが、
この時、了は前もって妻子を本丸に入れて置いた。
対して田中角之助は、妻子は足手纏いだとしてあらかじめ立ち退かせ、
自分だけ討死にする支度を整えていた。
だが、やがて長盛から城の受け渡しを命じる書状が来たので、
田中は城を渡して立ち去った。
田中は妻子を立ち退かせ、躊躇することなく城を去った。
しかし名声を高めた了とは違い、
後世の批判を免れることはできなかった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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